「一万五〇〇〇円」の報奨金

 

 グーグル社が、公式の職務に使う時間を八〇%に抑え、勤務時間の二〇%は新しいチヤレンジに充てるべしという社内ルールを定めているのは有名だ。変革期にある製薬業界にこそ、この「二〇%ルール」は最も必要なことであるはずだが、もはやその余裕は失われてしまった。

 

 成果主義制度によって導入された時間管理システムは、ある程度システマティックな研究体制整備に役立った面もあり、全てが無為に終わったわけではない。しかし、新しい発想の芽を伸ばす下地を失った影響は、数年から十数年後にじわりと表れてくることだろう。

 

 新薬間発に成功した研究者に対する報奨金も、この時期に導入された研究活性化策の一つだ。企業で発明を行った研究者が、その売上に応じて対価を受け取れる制度のことで、特に中村修二氏(現カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)が日亜化学を相子取った「六〇〇億円訴訟」によって大きな注目を受けた。

 

 しかしこの中村氏の実質敗訴(支払額八億四〇〇〇万円)が判例となってしまったこ

とにより、製薬企業においても報奨金はさしたる額になっていない。

 例えば世界で年間四〇〇〇億円を売り上げる塩野義製薬の大黒柱・クレストール(海外ではアストラゼネカ社が販売)を開発した渡辺正道氏が、その報酬として当初受け取ったのは、なんと一万五〇〇〇円という屈辱的な金額だった。その後同社は一四五〇万円を報奨金として提示したが、渡辺氏はこの受け取りを拒絶し、同社を相手取って発明対価八億七〇〇〇万円を求める訴訟を起こしている。自社の利益の四分の三を稼ぐ薬を創り出しても家一軒建たないというのでは、報奨金の名が泣くというものだ。

 

 もちろん、このあたりにはいろいろな考え方があるだろう。一生実験を続けながら薬を創り出せない者も、会社の一員として安定した給料を受け取っている。医薬創出は運にも大きく左右されるものであり、多くの人の協力も必要だ。たまたま一発当てた一人だけが巨額を手にするのはおかしいという考え方もある。

 

 が、新薬を創り出すのは今や金メダルやノーベル賞にも匹敵する難事だ。ただなんとなく練習をしていたら、たまたま金メダルが取れてしまったという話はない。これと同様、医薬は化介物をたくさん作っていれば、その中から一定の確率で出現するというものではない。

 

 筆者は今まで、画期的な新薬を世に送り出した研究者の講演を幾度か聴いたことがある。彼らに共通するのは、「何としても薬を出す」という、どこか狂気さえ感じさせる異様なまでの信念であった。苦しむ患者を救いたい、世に役立つものを何か創り出したい、研究者として自分の力を示したい。医薬とは、そんな思いが凝り固まったものだ。実力あるリーダー不在でなんとなく新製品が出てしまう、といったことはあり得ない。

 

 例えばスタチン剤の生みの親・遠藤章氏は、自分の化合物が会社方針で潰されかかった時、社に無断で勝手に臨床試験を行うという恐ろしい「暴挙」に出ている。難病に苦しむ少女を救うためでもあり、安全性・有効性について確信があったからこそ試験に踏み切ったのだろうが、何か事故でもあれば問違いなく氏の首は飛んでいたところだろう。こうして自分の存在証明を賭けてあらゆる障害と闘う人がいるからこそ、新薬は生まれるのだ。

 

 有力な医薬ひとつの影響力は凄まじい。ペニシリンはほとんどの細菌感染症を駆逐し、人類の平均寿命を大きく引き上げた。抗うつ剤プロザックセロクエルは、うつ病というこの上なくつらい心の闇から患者を引き戻し、社会に復帰させる役に立ってきた。女優の夏目雅子は、急性骨髄性白血病のため一九八五年に亡くなったが、よい治療法のある現在であれば彼女は助かっている可能性が高いといわれる。渡辺謙は彼女と全く同じ病気にかかりながら、カムバックを果たして大活躍しているのはご存知の通りだ。

 

 松坂大輔イチローは、数十億円の年俸を稼いでいる。極限まで技を磨き、世界に感動を与えてくれる彼らのプレーはもちろん素晴らしい。だが、何十万の命、何百万の苦しみを救い、会社と日本社会に兆単位の富をもたらしてくれた研究者たちの功績は、決して彼らに劣ることはないはずだ。

 

 もっとも、研究者の最大のインセンティブは研究それ自体の喜びであり、患者を救いたいという強い思い、使命感だ。これは決してきれいごとではなく、研究に喜びを感じない者に対していくら金を積んでも、決して必死に働くことはないだろう。しかし、人類に貢献する素晴らしい結果を残したプロフェッショナルは、それ相応の金額で報いられるのが当然であると筆者は思う。渡辺氏の例でもわかる通り、中途半端な報酬は研究者のプライドを逆なでし、モチべーションを失わせるだけだ。

『医薬品クライシス』佐藤健太郎著より