新技術の限界

 

 もちろん新技術の間発も絶対に必要なことではある。しかし結果から見れば、HTS・コンビケム・SBDDなどは、残念ながら創薬を根本から変えるほどの新技術にはならながった。

 

 コンビケムは多数の化合物を一挙に作り出せるが、多種類のパーツを同時に連結させなければならないため、あまり込み入った反応は使えない。パーツ自体も単純なものでないとうまく反応が進行しないから、できる化合物のバリエーションは案外限られてしまうのだ。

 

 通常の合成で作る化合物が粘土で自由に造形した彫刻とするなら、コンビケムで作る化合物は数個のレゴブロックをつなげたものに例えられる。ブロックの種類をいくつ用意しようと、多様性という面からいえばしょせん限られたものにならざるを得ない。

 

 医薬として適当な構造とサイズを持つ分子の拉数は、計算上、十の六十乗を超えるという。コンビケムでたとえ亘万(十の六乗)の化合物を作り出そうと、この広大な「化合物の字宙」の中では、大海に浮かぶケシ粒ほどにもならない。ましてコンビケムでは作れる化合物のバリエーションが限られるから、狭い範囲を高密度で調べることしかできていない可能性がある。

 

 いわば日本中から高い山を探すのに、十キロメートル四方だけをくまなく探すしかできないようなものだ。たまたま日本アルプス付近にでも当たれば高山も見つかるだろうが、関東平野や海の上に当たってしまえば全てが無駄骨となってしまう。

 

 精確なタンパク質の構造を元に、それにフィットする化合物をデザインするSBDDも、同様に絶対とはいえない。タンパク質はX線結品解析で得られた通りの構造をしているとは限らず、柔軟かつ極めてダイナミックに動いているからだ。通常の状態と医薬分子が結合した状態では、別物と見えるほど大きく構造が変化してしまうタンパク質も珍しくない。こうした複雑なタンパク質の運動を完全にシミュレートするのは、現在のコンピュータの性能では残念ながら不可能だ。

 

 夢の創薬技術と思われた、ゲノム創薬もまた新薬の量産には結びつかなかった。ゲノム解読終了後の生物学の進展は、我々に「ゲノムが全てではない」という新しい生命観を突きつけつつある。

 

 DNAは生涯不変ではなく、様々な修飾を受けて日々変化していることが明らかになってきたのだ。DNAの塩基配列さえわかれば病気のかかりやすさがわかるというほど、生命の仕組みは単純ではないらしい。もちろんその解明も進んではいるが、テーラーメイド創薬という夢はやや遠のいたと言わざるを得ない。

 

 もちろんこれら新技術は全くの無駄であったわけではなく、その長所はうまく取り込まれ、現在も研究現場で有力な手法として使われてはいる。ただ、その影響は部分的なものにとどまり、当初期待されたような「創薬を一変させ、新しい薬がいくらでもデザインできる」というような、全く画期的なものにはなりえなかった。まだ海のものとも山のものともつかない最先端の研究が、そのまま商品に直結してしまう医薬品産業の難しさがここに表れている。

『医薬品クライシス』佐藤健太郎著より